お客様にとっての一流を届けるために——映画『グランメゾン・パリ』で気づいたこと

コラム

「1枚500円だったら撮りに行きたい」

そんなママたちの率直な声を聞いて、私の心には2つの感情が生まれた。

ひとつは、「1枚500円でも、私の撮る写真で誰かが喜んでくれるなら、それはとても嬉しい」という気持ち。
もうひとつは、「このままでいいのだろうか?」というモヤモヤ。

それは、単に価格の問題ではなく、「私が目指したいもの」と「求められているもの」の間にあるギャップ

今日、映画『グランメゾン・パリ』を観たとき、そのモヤモヤの正体が少しだけ分かった気がした。

一流を目指すということ

「一流になりたい」という気持ち。言葉にするのは簡単だけど、その道のりは決して平坦ではない。孤独な努力・不利な状況・それでも前に進み続ける覚悟。

『グランメゾン・パリ』の登場人物たちを見ていると、そんな姿勢がリアルに描かれていた。

そして、彼らを演じる一流の俳優たちの放つ言葉の「重み」が、私の心に深く響く。

「私が本当に目指したいものは何なのか?」

そんな問いが、静かに心の中で膨らんでいったのだ。

私は写真を撮ることを仕事にしている。
でも、ただ「撮ること」だけが目的ではない。

大切なのは、その写真が お客様にとってどんな意味を持つのか ということ。

でも、それを追求する一方で、「手軽に楽しめる写真を求める人もいる」という現実もある。

「1枚500円でも十分嬉しい」という声に、私はどう向き合うべきなのか?

「手軽さ」と「一流を目指すこと」

このふたつのバランスを、私はどう取っていけばいいのだろう?

ミシュランが料理の味だけで星を決めるのではなく、店の空間・サービスすべてを総合的に評価するように、写真もまた、単なる「画質の良さ」だけでは語れない。

私が目指す「一流」とは何なのか?
その答えを探し続けることこそが、私の挑戦なのかもしれない。

旅をしてでも撮ってもらいたい写真とは?

世の中には、「旅をしてでも撮ってもらいたい」と思わせる写真がある。

ただ近くで手軽に撮れる写真ではなく、「この人だからこそ撮ってほしい」と思わせる写真。

それは、ただ綺麗な写真を撮る技術だけではなく、そこに込められた想いや、その人が作り出す空気感まで含めて、「この人じゃなきゃダメだ」と思わせる何かがあるから。

誰かの人生を変えてしまうくらいの衝撃や感動を与えられるのが、一流なのかもしれない。

そう思ったとき、ふと気づいた。

私は今、「1枚500円の写真を求められる自分」にモヤモヤしているけれど、本当に目指したいのは、「旅をしてでも撮ってもらいたい」と思われる存在になることなんだ、と。

価格や手軽さではなく、私が撮る写真そのものが、お客様にとって意味のあるものになること。

ただの「記念写真」ではなく、「人生に刻まれる一枚」になること。

そのために、私は「自分にしか撮れない写真とは何か?」を問い続け、一流を目指し続けていく必要があるのだ。

モヤモヤとの向き合い方

1枚500円の写真が、決して価値のないものだとは思っていない。

むしろ、その価格だからこそ気軽に楽しめる人がいるし、手にした人が笑顔になるなら、それはそれですばらしいこと。

ただ、私は「それだけ」で終わりたくない。

「一流」とは、単に高い技術を持つことだけではなく、お客様にとって本当に意味のあるものを提供することだと思う。

そのためには、今の自分にできることを考え、試し、形を変えながら向き合っていくことが必要なのかもしれない。

「この価格だからこそできること」「この状況だからこそ生まれる価値」

そう考えたときに、モヤモヤの正体が少しだけクリアになった気がした。

一流を目指す覚悟

世の中には、軽い口調で「あなたならできるよ♡」と言う人たちもいる。

でも、私が目指したいのは、そんなふうに軽く「できるよ」と言われる仕事ではない。

本気で向き合い、自分が生み出したものが、誰かにとって本当に意味のある存在になるような仕事なのだ。

写真でも文章でも、何を作るにしても、そこに魂を込めたい。

でも、「私が一流だと胸を張れること」だけを目的にしてしまうのも、なんだか違う。

私が心から喜びを感じるのは、私の作るものが、誰かの人生にとってかけがえのないものになったとき。

私の一流が、私だけのものではなく、お客様にとっての一流になったとき。
ただの自己満足やエゴではなくなったとき。

そのために、これからも私は試行錯誤を続けていくし、「一流とは何か?」を問い続けていきたい。

「お客様にとって本当に価値のあるものとは?」

その答えを探しながら、私はこれからもシャッターを切り続ける。

最後に

ミシュランの星は、料理の味だけで決まるわけではない。

「一流の料理を作ること」と同じくらい、「その空間」「サービス」「体験」が重視される。お客様がその店で過ごす時間・その料理を食べる瞬間、すべてが一流であってこそ、ミシュランは「星」を与える。

フォトグラファーの仕事も同じなのかもしれない。

「一流の写真を撮る」ためには、単に技術やクオリティだけではなく、お客様がその瞬間に感じる気持ち・撮影までのワクワク・写真を手にしたときに湧き上がる感情まで含めて、すべてが大切。

1枚500円の写真も、私が目指す写真も、どちらも意味がある。

でも、私が最終的に目指している場所は、ただ「綺麗に撮れた写真を提供すること」ではなく、お客様へ「最高の体験」を届けること。

「旅をしてでも撮ってもらいたい写真」とは、ただシャッターを切るだけではなく、そこに込められた想い・過ごした時間、すべてが「一流」だと感じてもらえるもの。

写真のクオリティだけで一流を語るつもりはないが、最高の体験に繋げるためには、写真のクオリティが伴わないと意味はないとも思う。

もしこのブログを読んで、「自分にとっての一流とは?」と考えた方がいたら、一緒にその答えを探していけたら嬉しい。