東久留米市の六仙公園で毎秋に行われている畑を耕し育てる人・作る人・食べる人を結ぶ「麦の収穫祭」
今年(令和6年)はタネニハ | 秋田緑花農園さんとのコラボで「ハッピーファーミング祭り」という形で行われたね。
「農」をフィールドにしたイベント。という文章を見て、改めて「農」ってなんだろう?と考えを巡らせた。
食べるものは、私たちが生きていくうえでなくてはならないもの。なのに、あまり身近に感じていない「農」。私にとっての「農」ってなんだろう?
……パッと思いついたのは、田舎と都会での「農との距離」の違い。
田舎と都会での「農との距離」の違い
地方に移住してたころは、農がとても身近だった。スマホを触る時間よりも畑や芝畑にいる時間が長くて、気が向いたときに友達の農園にいって、土を触る。
なんてことない事を話しながら、ひたすらネギの皮を剥いてじゃがいもを選定する。出荷に向けた準備をして、野菜をもらって帰ることもあった。
畑の近くで暮らしている子どもたちにとっても、もちろん「農」は生活の一部。感性がとても豊かで、表現をすることが得意な子どもとたくさん出会った。
畑のすぐそばに見える大きな山や広大な芝畑。芝畑の向こう側に広がる海。天気が悪いときも多かったけど、虹を見れる機会が多く、大地から感じるパワーは東京とは段違い。
新鮮でおいしい野菜もいつも隣にあって、それが普通だった。意識的に「農」に携わろうと思っていたわけではないけれど、日常にあったんだなぁと。
東久留米市の「農」
東久留米市も、東京のなかでは農が盛んだよね。でも、よくよく考えると、私の日常に「農」はない。スーパーの野菜が農とのファーストタッチになることがほとんど。
そもそも土を触りたいなぁと思っても、子どもと一緒にお芋掘りをしたいなぁと思っても、気軽にあそこに遊びに行こうなんて場所はないもんなぁ。
広大な芝畑で走り回ることもできないし、知り合いに畑でとれた野菜をもらうこともない。パワーも薄い。
「食べること」は、私たち人間が生きていくうえで欠かせないことなのに、「食べるもの」を育てられないことって、なんだかすごく不思議だなぁと思った。
こんな事を考えながら、もう1つのことが頭に浮かんだ。
都会と田舎の経験が半々の子どもは優秀に育つ?
いつだか、都会と田舎の経験が半々の子どもは優秀に育つという研究を目にしたことがあった。
実際にどちらの暮らしも体験してみて、納得できる研究結果だなぁと思う。田舎にも都会にもどちらにも、メリットデメリットがあって。経験してみないと気づけないことばかりだった。
優秀に育ってほしいというよりも、子どもには楽しい人生を生きていってほしい。と願うのが親心。そう考えた時に、我が子の田舎と都会での経験のバランスをすごく真剣に考えた。
もしこのまま東久留米市で子育てを続けるなら、親の私は、子どもにどんな経験を提供していくべきだろうか。
その視点にたつと、東久留米市でできる「田舎」の要素はなんだろう?という考えにつながる。都会にないものの1つと言ったら、「農との距離の近さ」なのかもしれない。
23区に比べたら、川・林・竹林・畑などには恵まれているほうだけど。とは言え、ほんとうの田舎ではないんだよなぁ。
感動する自然に出会うことも自然からパワーをもらえることも少ないけど……だからこそ、積極的に自然と触れ合う必要があるんじゃないかなぁと思った。
東久留米市の田舎要素をもっともっと楽しみたい!
東久留米市には「楽しいところやイベントが少ない」という人が多い。
だけど、自然ほど楽しくて面白いことはない。東久留米市でもっと子どもと一緒に田舎要素をたのしめたらなぁ。
一時的な楽しみよりも、もっと深い何かと出会えるんじゃないかなって思う。
私にとっての「農」ってなんだろう?
生きていくために必要なものだけど、手が届きにくいもの。いまは全然身近じゃない。
だけど、やっぱり絶対に生きていくうえで必要なもの。日常の一部になったらいいなぁと思うもの。
子どもの未来のために、もっともっと「農」を日常に取り入れていきたいなって思ったよ。