ある夜、ふと見た不思議な夢。
「前世」っていうほど大げさじゃないけど、ただの夢にしては妙にリアルで、朝起きても心の中に残っていた情景があった。
そんな「ひとつの夢」の話。
夕焼けの海と、オレンジ色の風
最初に浮かんだのは、沖縄みたいな海だった。
夕日が大きくて、世界全体がオレンジに染まっていて、風がやわらかかった。
そこに、にこにこ笑ったガイドのような人がいて、手をつないで歩いてくれた。
冷たい門の向こうに広がっていた「始まりの世界」
暗い海の底へ近づくにつれて、冷たくて大きな銅の門?が現れた。
怖いというより、「ここから何か始まる」ような静けさ。
扉を押し開けると
まぶしい光・緑の芝生・透明な海
ふわっと吹く風が広がっていた。
そこで私は、12歳くらいの細い少年として立ってたの。
生まれたばかりの妹を見つめる少年
木でできた小さな家。
まだ国とか名前とか、そういう概念もない時代。
そこで女の子の誕生を迎えた瞬間があって、その赤ちゃんは「妹」でもあるし、
「今のわが子」でもある気がした。
胸の奥が本当にあたたかくて、「ああ、私はこの子が生まれてきてくれたことが
たまらなく嬉しかったんだ」という感覚だけがはっきり残った。
愛がつながっていく光景
場面が変わって、妹が大人になり、母になり、自分の子どもを抱いて立っていた。
海の崖の上みたいな場所で、太陽と風を浴びながら
「気持ちいいーー!」って笑っている。
愛ってこうやってつながっていくんだという気づきが満ちていた。
そして突然、世界が崩れ落ちた
次の瞬間、空が暗くなり、火の粉が舞っていた。
隕石みたいなものが落ちてきて、大切な家族も、妹も、その子どもも、光のように消えていった。
現実じゃないとわかっていても、胸の奥がぎゅっとなるような場面だった。
でも、そこで不思議と理解できた。
私はずっと、「守りたい」という気持ちを強く持って生きてきた理由。
失う怖さを知っているから、生まれてきたという瞬間が何より大切に思えるんだと。
夢が教えてくれた「まめフォトの根っこ」
目が覚めたあとも、胸の中にあったのは「悲しみ」じゃなくて静かな納得感だった。
なぜ私は写真を撮るんだろう?
なぜ「生まれてきてくれてありがとう」という気持ちにこんなに敏感なんだろう?
この夢を見て、少しわかった気がした。
私はきっと、ただ純粋に
「命が生まれる瞬間」を祝福したくてここにいる。
写真や映像は、そのための「手段」なんだ。
ちいさな「まめつぶ」と思い出の海へ
まめフォトの「mame」は、
まめつぶのような小さな命が大きく育っていく喜びと
「mementomare(思い出の海)」の頭文字からつけた名前。
その両方を、この夢の中で見た気がした。
生まれること。
つながること。
続いていくこと。
写真はその全部を、未来へ運ぶための灯り。
私はこれからもカメラを握って、いや、何をしていても。この世に命が生まれてきた瞬間を祝福し続けるんだろうなぁ。
だってそれが、私がこの世界に生まれてきた理由なんだと思うから。

