今朝見た夢が、なんだか妙にリアルで。
しかも、なぜかわたしは“医師の研修生”だったの。笑
夢の中で感じていたことを言語化してみたら、すごくおもしろくて、深くて…
自分の心の奥を見たような気がしたから、今日はそれをシェアさせてね。
どんな夢だった?

夢の中のわたしは、研修室みたいなまっしろな部屋で、先輩の女の人と一緒にいたの。
まわりの様子もわからなくて、「何したらいいかわかんないです…」って戸惑ってた。
すると先輩が、ちょっと高圧的にこう言ってきた。
「◯◯先生の手術、見に行ってみる?」
「そ、そうですね…!」と返しながらも、内心はドキドキ。
でも手術室に近づくにつれて、「え、無理かも」「なんで医者になろうとしてるんだっけ?」「傷とか見れないし…」って気持ち悪くなってきて。
それでも「行くって言っちゃったしなぁ〜」って思って、断ることもできず、手術室の前まで行った。
(ここ、ほんとに自分の性格出てるな〜と思った!笑)
結局、手術そのものは見なかったんだけど、手前の部屋で見守る形になって。
そこにはなんと、50人くらいの人たちがだれかの無事をじっと祈りながら、並んで座ってた。
その空気感が、静かで、あたたかくて、胸がぎゅっとなったのを覚えてる。
でも夢はそれだけじゃ終わらなかった。
手術が無事に終わった…と思ったら、今度は先生に脅迫電話がかかってきて。
しかもそれをかけてたのが、さっきまで控え室にいた人だったの!😱
(サスペンス展開すぎるでしょ…)
そして病院を出ようとしたら、今度は道がいくつもあって、戻れなくなった。
「え?どこ?なにこの出口の多さ!?どれが正解?」って焦ってるうちに、目が覚めたんだ。
夢を分析してみたら…

起きてからふと、「なんでわたし、医師だったんだろう?」って思った。
手術室には入れなかった。
傷を見るのはどうしても怖かった。
でも、控え室で見守ることはできた。
誰かの大切な命に、そっと寄り添うことはできた。
これって…まめフォトの在り方そのものじゃない?って思ったんだ。
わたしは医師じゃないけど、
📸 カメラで
📖 ことばで
🫶 まなざしで
“心のお守り”を手渡す、もうひとりのお医者さんになりたいって、どこかで思ってるのかもしれない。命に触れるためにこの仕事をしているんだなって。
手術はできないけど、未来に安心や希望を届けることはできる。
写真という処方箋で、誰かの“今”を支えることもできる。
そもそも、なんで医師だったんだろう?

実はわたしにとって、医師ってめちゃくちゃハードルの高い存在。
頭も良くて、責任感もあって、命に向き合う仕事。正直、「自分には絶対ムリ」って、ずっと思ってた。
そんなわたしが、夢の中でなぜか「医師を目指してた」。
それがなんだか、無意識からのメッセージみたいに思えて、「まりちゃん、ほんとはそんな存在になりたいんでしょ?」って言われてるみたいで、ちょっと泣きそうになった。
でもきっと、医師じゃなくてもいい。
まめフォトという形で、人の心に触れて、未来を守ることはできるかもしれない。
それが、わたしが「本当にやりたいこと」なんじゃないかって思った。
脅迫電話の正体は?

手術が終わってホッとした空気の中で、突然かかってきた脅迫電話。
しかも、脅迫電話をかけていたのは“味方だと思っていた人”。
このシーン、ちょっと怖かったけど、もしかしたらこれは、わたしの中の「疑いの声」や「本当は怖いという思い」が、脅迫者という形をとって現れたのかもしれないなって思った。
「そんなに想いを込めてやってて大丈夫?」
「誰かに否定されたらどうするの?」
「本当に伝わってるの?」
「誰かを傷つけてない?」
そんな声が、ずっとどこかにある。
そして、きっとこの感覚って、フォトグラファーとして活動していく上で、“あるある”なのかもしれない。
わたし自身、これまでの人生の中で信頼していた人に裏切られた経験が何度もある。
そのたびに、心がぐしゃぐしゃになるほど傷ついて、「もう誰も信じたくない」って思ったし、その度に殻にこもってきた。
でも、それでも。
わたしはまた、誰かを信じたいって思ってる。
裏切られるかもしれない。傷つくかもしれない。でもそれでも、誰かに手を伸ばしたいって、心の奥で願ってる。
だけど、やっぱり…怖いんだよね。
「否定されるのが怖い」ってずっと思ってる

だって、まめフォトで届けているのは、ただのサービスじゃない。わたし自身の想いそのものだから。
過去も、願いも、祈りも、やさしさも……ぜんぶ詰め込んでるからこそ、それを「伝わらない」とか「違う」と言われたら、ほんとうに立ち直れないくらい怖くなる。
だけどね。
それって裏を返せば、それだけ本気で届けたいって思ってる証拠なんだよね。
怖さを感じながらも進んでるときこそ、“ほんもの”の言葉や写真が生まれるんじゃないかなって。
そしてその“ほんもの”こそ、きっと誰かの心をちゃんと守れる。
すぐに届かなくても、反応が薄くても、何年後かに「あのときあの言葉が、あの写真があってよかった」って思ってもらえたら、わたしはまた、手を伸ばしたいって思える。
信じることは、ほんとうに怖い。
裏切られるのは、ほんとうに痛い。
でもそれでも、誰かを信じられる自分でいたい。
きっとそれは、ずっと昔の、信じたかったのに信じられなかった自分とつながってる気がするんだ。
だからこそ、わたしが差し出す写真やことばには、「信じることをやめなかった証」が込められてる。
そしてそれが、誰かの「信じてみようかな」につながるなら、それだけでもう、十分なんじゃないかなって思うんだ。
だからわたしは、これからも怖さを抱えたままでも、信じて、届け続けていきたい。
それが、わたしの“まめフォト”だから。
夢の最後で迷子になったのはなぜだろう?

最後に、夢の中で道がいくつもあって迷子になったあのシーン。
あれってきっと、「元の自分に戻ろうとする自分」と、「本当は新しい道を選びたい自分」がぶつかってたのかなって思った。
今までのやり方や居場所に“戻りたい”って思う気持ちと、でも実はもう“そこには収まりきらない自分”がいる。
だから、迷子になるのも当然。むしろ、迷ってるってことは、前に進んでる証拠なんだよね。
正直いま、わたしもいろんなことにモヤモヤしてる。どれが正解かわからないし、自分の強みもブレるときがある。
でも。
そんなときほど、自分の深いところから夢がヒントをくれるのかもしれない。
もしかしたら、これを読んでくれてるあなたも、“今ちょっと迷子中”かもしれない。そんなあなたの心に、この夢話がすこしでも届いてくれたらいいなぁ。
さいごに
「あなたは、どこに戻ろうとしてる?」
「それって、本当に“戻りたい場所”?」
「もしかしたら、“進む場所”だったりしない?」
そんな問いを、夢が静かにくれた気がします。
迷ってる人も、戸惑ってる人も。
否定されるのがこわい人も。
それでも、前に進もうとするすべての人へ。
わたしも、あなたも、そのままで大丈夫だよ。
もしこの夢の話、何か響いたところがあったら、感想もらえたらめっちゃうれしい…!(土下座する勢いで読むから!笑)